イタリア人のライフスタイルの神髄

−ミラノに14年間住み着いて分かったことー

PDFファイル

3 イタリア人のライフスタイル

(6)ミラノ泥棒事情

ミラノに赴任して早々私は被害にあった。日本に住んでいる人間の無防備さをさっそく突かれたのである。打ち合わせのためミラノに来た日本人技術者とドウモ教会の隣のガレリアで軽い昼食をとった。ここはミラノの中心地で観光客でいつもごった返しているところだ。レストランのテラスに座って二人で話していると、いきなり若い男が近ずいてきてドル紙幣をかざしながら、「マネーチェンジ」という。当方が首を振るとその男は離れていった。

帰る段になって気がつくと、私が椅子の傍らに置いていたカバンがない。一緒にメシを食べた男はイタリア勤務2年ほどの男で「早速やられましたね。さっきまでカバンを置いていた側に男がいたでしょう。「マネーチェンジ」といってそちらに気を取らせている間にその男がカバンをさらう、よくある手口ですよ」という。「ところでカバンの中に何をいれてましたか」と聞くので、「今日着いた日経新聞しか入っていない。カバンも日本で使っていた古いやつだ」というと「彼等は開けてみて、がっかりして近くのごみ箱に捨てていったかもしれないから、ちょっと見てみましょう」という。探してみると彼の言う通りだった。私はこうしてミラノの泥棒族からの最初の攻撃にかろうじて被害無しで済んだのである。

1年ほどたったころ、今度は女房がやられた。場所は上記ドウモ教会の近くにあるデパ―ト。彼女によると水着を買おうと思いあれこれ見ていた。売り場は混んでいた。ところがある時急に周りの人がいなくなった。おかしいなと思って持っていた手提げを見ると入れておいた財布がない。「財布がない」と声を上げたが周りの人は知らんぷり。デパ―トの掛かりの人に告げると「いくら入っていたか」と聞くので、50万リラ(3万円位)というと、その程度かという顔をして、住所と名前を書いておいてくださいでおしまい。 警察に届けようというと、「この程度では相手にしてくれないからやめたほうがよい」といわれたという。

もう一つとっておきの面白い話。1992年だったと思うがナポリでサミットがありG7の各国首脳が集まった。日本からは村山総理が出席された。よく知られているようにナポリは泥棒が多いいことで知られている。イタリア政府もこの時ばかりは徹底的に泥棒狩りをしたといわれた。「追い出された泥棒達が北上しミラノにも来ているから注意するように」との連絡が総領事館から我々の方に届いていた。何か起こりそうだとの予感がしたがやはり起きたのである。

日本人観光客が数人大通りを連れ立って歩いていると、突然パトカーが道路わきに停つて、警察官らしい身なりをした二人の男が下りてきて「最近偽札が出回っているので、お持ちの紙幣を調べさせてほしい」という。すっかり信用して。手持ちのものを20枚ぐらい差し出すと、彼等は一枚一枚丹念に見はじめた。急に「あ、落ちちゃった」といってかがんで一枚の紙幣を拾い上げてそれからまた数えつずけた。結局「皆さんはついてますねえ。偽札はありませんでした」といって去っていったが、あとで買い物をして支払う段になって紙幣が6枚(4万円相当)足りないことにきずいたという。

以上の事例からわかることは、泥棒達の手口というのは、相手の関心を巧みに他 のことに向けさせ、スキが出来たところを狙うというやりかたである。
やられたほうにすれば、「あいつらうまいことやりおったな」という思いがするが、ほかの国であるような体を傷つけられたり、最悪殺されたりすることは、観光客に対してはないのは救いである。

小生はミラノでは常に8個のカギを持っていた。オフィスの引き出しと部屋の鍵、自分の車の鍵、車のエンジンにかけてある盗難防止装置(antifurto)の鍵、アパートの門の鍵。自分の駐車場の鍵。アパートの鍵二つ、占めて8個となる。 日本では見かけたことのなかったがここでは車の鍵だけでなく、エンジンにまでかぎをかけるのだ。それだけ車泥棒が多いいということだ。

つまりイタリアの社会に住むためには、一歩家を出たら常に目を光らして、スキをつくってはいけないということである。

ある大都市で地下鉄の乗ろうと思い、キオスクで切符を買った。当時切符は1200リラであった。小生が1500リラを渡すと売り手のおばあさんは、受け取ったきりでしらんぷり。こちらが「釣銭は」というと、「この男わかってんのか」という顔をして渡してくれる。いやはやここまで気を張らねばならぬのかとおもう。

日本の安全な社会に住み慣れた者にとってはここで生きていくのは疲れる。

小林 元 (こばやし はじめ)

前へ  :目次