イタリア人のライフスタイルの神髄

−ミラノに14年間住み着いて分かったことー

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3 イタリア人のライフスタイル

(5)音楽のこと

実は私自身はこと音楽についてはどちらかというと疎い方でこれについて語る資格があるのか疑わしいのだが、イタリア人の生き方を語る時このテーマを避けて通ることはできないと思う。

オペラでは世界最高の殿堂の一つといわれる「スカラ座」のあるミラノに14年間も住み、毎日のようにオフィスの行き帰りにそばを通っていたのに、何とこの劇場でオペラを見たのは6回ぐらいなのだから、オペラのファンからは「お前何をしていたんだ」とお叱りを受けるのは必定であろう。

83年初めてかの地に赴任した時、スカラ座とはどんなところ覗いてみたいと思ってイタリア人の同僚に聞いてみたところ、「切符を取るのは地場の人でも至難のわざ。そこそこ名のとおったオペラは徹夜して並ばないと取れない。ただ人気のないドイツ語や英語のオペラの切符なら会社のイタリア側パートナーの労働組合にあるかもしれない」とのこと。

そこで切符を手に入れ初めてこの劇場に女房とともに入った。英語のオペラで内容はよく分からなかったが、劇場内の舞台、客席などがきらびやかではなく、しっとりと調和した美の世界であったのが印象的であった。

その後縁があって芸大の声楽科出身でオペラを学びにミラノに留学し、イタリアの各地の劇場に出演している女性オペラ歌手と家族付き合いをするようになり、イタリアオペラの事情が少しわかるようになってきた。イタリアオペラは民衆の中から生まれたもので、イタリア人の心の中に深くしみ込んでいるという。一つの例をあげよう。私が乗ったタクシーの運転手と話していて、たまたまオペラに話が及ぶと「自分はパバロッティのフアンで彼の生の声を聴きたくて今年の夏はミラノから車を飛ばしてべロ―ナの野外劇場までいった。場内に入る切符は高くて取れないけれど、彼の声は場外にまでよく響くので十分楽しめました」と。

このようにオペラはハイソサイエティーだけでなく庶民の心もとらえているのだ。 スカラ座の最上階は立見席になっていて3千円位で手に入るので学生や庶民のオペラ好きが入るのだが、彼等はよく勉強していて、有名歌手でも音を外したりすると途端にブーイングをする。先に述べた邦人の歌手によると「ミラノのスカラ座の聴衆は耳が大変肥えているので、歌手の間ではここスカラ座で歌うのが一番怖いといわれているのです」と。

ここで私がなぜオペラに足しげく通わなかったかについて述べておかねばなるまい。 私は会社では100人ばかりのイタリア人の中にいて朝から夕方までイタリア語に囲まれている。夕方退社するとやれやれイタリア語から解放されるとホッとするのだ。 中南米に5年勤務していた時は私も30代で若かったし、スペイン語を話すのが楽しかった。

しかしイタリア語の方は文法的により複雑で40代後半に入っていた私には重荷であった、特に会議などで彼等が興奮して早口で喋りまくるのについていくのはしんどかったである。そうした私には、夜に又歌手が歌いまくるイタリア語を2時間も3時間も聞くのは気が進まなかった。

むしろ私は弦楽四重奏など静かな響きを聞くのが好きであった。ご存じのようにイタリアは、ビバルディやレスピーギなどの作曲家がこの分野で先駆的役割を果たしていた。現地に人にも愛好者がいるとみえて、ミラノでは冬のシーズンになると弦楽器の演奏会を7−8回開催するサークルの会員募集がある。バイオリン、チェロ、ハープの独奏会もあり最近ヨーロッパの演奏会で優勝した若手などが続々登場する。何しろこうした会の音楽監督が世界的に有名なイタリア人指揮者シヤーイだったりするのだ。こうした会の会費が3万円程度で手に入るのもミラノに住んでいるだいご味だつた。

私の妻は冬の間数週間日本に残してきた父母の介護のため帰国することがあった。そういう時には、私は努めてこの音楽サ―クルに顔を出すことにしていた。小さな劇場の後方席に陣取って心にしみいるような弦楽器の音色に聞きほれて、しばし安らぎの時をすごした。もう一つ楽しかったのは、休憩時(intermezzo )にコ―ヒを片手にたたずんでいると、日本人が珍しいのか話しかけてくる男達がいて、しばしの間談笑する機会に恵まれた。こういう機会を日本人ならほっとくであろうが、イタリア人は逃さないのだ。こうして知り合った仲間の内本当のアミーコになり今でもクリスマスカードを交わしている人がいる。

帰国後しばらくたってから、前に述べた名指揮者シヤーイがドイツのゲバントハウス交響楽団を率いて横須賀の芸術劇場で演奏を聴かせてくれたのは大変楽しかったし、ミラノの音楽サークルで演奏を聴いた新イタリア合奏団(I Solisti Fila Italiani)が来日しビバルディの「四季」を演奏、サイン会の場で奏者の皆さんとイタリア語で和気あいあい話が出来たのは今でも昨日のことのように耳に残っている。関係者の話によると日本で演奏されるクラシック音楽会でこのビバルデイの「四季」がいちばん多いそうだ。自然の四季の移ろいを描いたこの曲は我々日本人の心をとらえているのだと思う。

小林 元 (こばやし はじめ)

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