イタリア人のライフスタイルの神髄

−ミラノに14年間住み着いて分かったことー

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3 イタリア人のライフスタイル

(2)人の心をとらえるュ―モア

彼等はヨーロッパ人だから、自分の主張したいことは遠慮なく言う。しかし相手の立場を全く考えず、がむしゃらに自分の考えを言うのではない。時には主張をオブラートに包んで、やわらかく言ってみたり、さりげないュ―モアを挟んでその場をとげとげしくしない配慮をする。こうしたやり方をするのは階層が上の人になるほどみられるようだ。

先の章でプローデイ首相がパーティの席で私に向かって「アルカンターラの価格は高すぎる」とクレームを言いながら、顔は半ば笑っていたと書いたが、この様にからかうふりをしながら、自分の考えをズバッと伝えるのだ。

イタリア人との付き合いの中でかなり評判の良かった私のュ―モアがあるので紹介しておきたい。

前に述べたようにアルカンターラ社では、昼食は社員食堂でとる。食後決まって連れだって近くのバ―ルにコ―ヒー(エスプレッソ)を飲みに行く。あそこの店は豆を変えたぞとか今度かわいい子が来たぞとかの情報が入り今日行く店がきまる。今日はマリアちゃんという新入りのかわいこちゃんを見に行こうと決まる。店に入り私の番になって、その店のオ‐ナーのシニョーラ(中年のなかなかの美女)に注文を聞かれた。私は生来喉にアレルギーがあり、ちょっとせき込んでしまった。彼女は心配そうに「風邪をひかれましたか」と聞いてきた。私はからかい半分「医者によると私のは特殊なアレルギーで、美しい(bella)女性の前に立つと咳が出るようなんです」といった。それを聞いたシニョーラの反応が見事だった。パット振り返り、「あ、 マリアちゃん何処に行ったのかしら。さっきまでここにいたのに。」ときた。自分のことを言われているのは分かっていながら、マリアちゃんというこの機転の良さ。これがイタリア人の軽妙さのなせる業だと思う。こういうことがあるから、イタリアで住むのは楽しいのだ。

これを仲間のイタリア人が聞き漏らすはずがない。会社に帰ってすぐ吹聴する。会社の誰もが知ることとなる。彼等はこういう軽妙なュ―モアが大好きなのだ。彼等の間でささやかれたのは「彼はもう日本人ではない。ミラノ人,それもガラの悪いミラネーゼ(cattivo milanese)だ」ということになっているよといわれた。

小林 元 (こばやし はじめ)

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