イタリア人のライフスタイルの神髄

−ミラノに14年間住み着いて分かったことー

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3 イタリア人のライフスタイル

(1)食(mangiare )

このテーマについてはすでに日本では余りに語りつくされているから、私は長年ミラノに住み着いたビジネスマンとして彼等の日常の生活の中で垣間見た食の実態といったものに限ってをお話ししよう。

日本人はイタリア人は大食いであると考えているようだが、北イタリア人に限って見るところそれは違うと思う。

朝食にはエスプレッソまたはカフェラッテと小さなパン(panino またはcroissant)をほうばる程度で生野菜やヨーグルトなどは食べない。

我々の仲間は昼は社員食堂で食べるのだが、これがおもしろい。前菜(生またはゆでた野菜など)パスタ、主菜(肉が主体)と一通りのコ―スになっている。ミネラルウォーターがあるのは当然としても、驚くなかれ赤と白のワインが置かれている。

私が初めて赴任した時担当の部長に「なんでワインが置いてあるのか」とただすと「昼食にワインを出すことは労働協約に決められているのです」とのことであった。

昼食(PRANZO)はイタリアでは伝統的に三食の内の最も大事な正餐であり、フルコースを取ることになっている。戦前昼食は自宅に戻って家族とともにとるものであった。戦後は昼食のために家に帰るのが交通事情でできなくなり、社員食堂で取るようになったが、正餐時にはワインを飲む習慣が維持されているのだという。

見ているとマネージャ―クラスはほとんどワインに手を付けないが、たまに飲むときには「ちょっと香りだけ」とか言って、ワインをミネラルウオーターで割って飲むのには驚いた。日本ではこういう飲み方は知られていないとおもう。

見ていると一般従業員の中には、パンを取る時ポケットに2−3個入れている奴がいる。夕食用にもっていくらしい。イタリア人同輩からは「まあ、大目に見てやってほしいい」とのことであった。

夕食は8時ごろ家族そろって取るのが決まりだが、共稼ぎが普通だから準備に手間のかからないものが多いいようだ。前菜に生野菜と生ハム、パスタ、フライパンで簡単にいためた肉料理、カフェでおしまい。

彼等北イタリアのexecutive 達で肥満体のものはほとんど見受けない。彼等は太っているのは恥じであると考えているように見える。自分の食欲をコントロール出来ないものは上に立つ資格はないと考えられているようだ。

ある時現地人のある部長と席を共にしたことがあるが、サラダしか食べていない。「腹の具合でも悪いのか」と聞くと、「いや、実は今夜アミーコの自宅に呼ばれているから」という。今から腹を減らしておいて今夜出てくるご馳走をベストなコンデションでおいしくいただけるようにしているのだ。この心がけには心底感心した。本当のグルメとはここまでやるのだ。

小生の見るところ北イタリア人は自宅では上に述べたように結構粗食である。語学研修のために、夏フィレンツェの郊外で1週間ホームステイをしたことがあるが、しかしこれはうまいという料理に出くわしたことはなかった。

イタリア人は平日は粗食に、その代わり週末になると自宅で手の込んだ料理、例えば、土曜日の早朝から3時間もかけてスパゲッティのragu (ミートソース)を手ずくりでやるのだ。まさにマンマの味である。マンマと並んで主菜を使っているのが、なんと旦那だ。凝ったやつになると「タイの薄ずくり」作る奴までいる。 男が手ずくりの料理に大変興味があるのには驚く。

彼等の定番と言っていいのが「タイの姿焼き」である。岩塩をかけて一晩冷蔵庫に入れておいて焼いただけだが、あっさりしてうまい。

日本と決定的に違うのは、土曜か日曜日に必ずと言っていいほど家族と親族を自宅に招いて和気あいあい10人ぐらいでこうした手ずくりの午餐を楽しむことだ。これによってイタリア人の強固な家族と親族の絆が作られているのだ。

外出してアミーコ達とレストランやオステリアに繰り出すことも多いい。 ここでも彼等はだべりながら大笑いをしながらたべまくる。イタリア人は大食いであるというような思い込みが海外で広まっているのはこうした外で仲間と大食いするときのイタリア人を見てそう思い込んでしまっているのだろうと思う。

小生もかの地で働き始めたころ失敗したことがあった。 会社のイタリア人同僚をご夫妻で三組自宅に夕食の招待したのだが、極めて日本流に、前菜、煮物、てんぷら、そして刺身、お椀ものを用意していた。彼等は8時頃に着てだべりまくり、当方も日本から持ってきた焼き物、掛塾、中南米にいたときの写真などを見せ、12時過ぎまで話は大いに盛り上がったのだが、気が付いてみたら食べるものが足りない。慌てて冷蔵庫にあった肉類やつまみを加えてなんとかその場をしのいだ。彼等は呼ばれた時出るおいしいものは腹いっぱい食べりまくるのだ。私と妻はこの経験を通してはじめて彼等の食のビヘイビアーの一端に触れたのである。

小林 元 (こばやし はじめ)

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