イタリア人のライフスタイルの神髄

−ミラノに14年間住み着いて分かったことー

PDFファイル

2 感性に生きるイタリア人たち

(4)イタリアでにわか上流階級人になる

まず我々夫婦の生い立ちに簡単に触れておきたい。

私達夫妻は、群馬大学付属中学の同級生で、典型的な地方の中流階級の家に育ったといっていいだろう。私の実家は耳鼻科の医者であり、妻の父親は一級建築士で公共事業の設計をしていた。両家とも教育には金を惜しまないが、生活の面では質実剛健の気風の中で子供たちを育てた。

高校を終了すると、私は慶應義塾大学、彼女は東京女子大にすすみ、付き合いもそのころ始めたのである。私は上京して大学の都会風の生活になじむのに若干時間がかかったが、クラスやゼミの良き学友に恵まれ溶け込むことが出来たし、また理論経済学という学業のほかにロマン・ロランやヘルマン・ヘッセを読みふけり、音楽会や美術館に足しげくかよったのが後にイタリアに行って役に立った。実はこれらは彼女とのデ―トの場でもあったのだが。 彼女は西洋史を専攻し、三笠宮殿下のオリエント史講義やバイニング夫人の英会話の授業で直々に指導を受けたとうれしそうに語っていた。結婚したのは私が東レに入って1年後であった。

さてミラノでの付き合いの話にもどるが、さすがに会長はすごいと思ったのは、前回述べたそうそうたる人達とのパーティに誘う前に、我々をディナーに招いて品定めをしたことである。つまりそうした場に連れて行ってもおかしくない人物かを見定めたかったのであろう。正式な招待状が来たので何とか会長のおめがねにかなったのであろうと思う。しばらくたってからのことだが、会長から「君の奥さんはなかなかいいね」といわれた。おそらく大学4年間で国際的な一流の舞台に出ても恥ずかしくない教養といったものを身に着けていたのであろう。ありがたいことであった。

本題に入ろう。先回述べたようにイタリア人の同僚から「これからあなたはミラノの相当上の階級の人々との付き合いに引っ張り出されることになるからそれなりの準備をしておいてください」といわれていたと述べた。

会長から「君と奥さんはパ―ティに招待されているよ」と招待状を手渡された。それからが大変だった。幸いまだ1か月の余裕があった。仲間のイタリア人は言うには当地には「トップマネジメント講座というのを手がけている人々がいる。紹介するから彼等のアドバイスを受けたらいい」と。早速彼等の事務所に恐る恐る出向くと、次のようなやり取りになった。

しばらく雑談の後まず歩いてみてといわれる。次に人前で講演をするつもりで話をしてみてくださいと。

彼等のコメントは以下のとおりであった。

(1)あなたは猫背ですね。大勢の人の上に立つ立場の人はもっと顔を上げて背を伸ばして堂々としましょう。

(2)話をするとき時々目をパチパチする癖がありますね。これはやめましょう。自信がないように受け取られます。

(3)着ている背広ですが、生地そのものはかなり良いものですが、あなたの体形を生かす仕立てにはなっていません。まずあなたは背が高い方ですが、その良さを生かしたデザインになっていないのです。裾をもう少し長めにしたほうがよいと思いますよ。又あなたの肩は右が少し下がっていますが、その点をカバーするようなデザインにもなっていません。そのようなパーティに出席するにはしかるべき服というものがあります。この服はおそらく決まったパターンに合わせて作られたものです。仮縫い付きのオーダメイドのお店を紹介します。その服に合わせてシャツ、ネクタイ、靴下などお店の方でそろえてくれます。

その足で紹介されたお店に行くと、ナポリ出身のサストレリアの親爺が出てきて、ス―ツのほかに、綿で150番手のシャツ、絹のハイソックス、ハンカチなどひととおりのものをそろえてくれて、しめて円貨換算40万円位を支払った。

又女房の衣装にもかれこれ10万円くらいかかった。にわか上流階級になるというのも大変だなと思った。だがこれだけではすまなかったのである。

2時間ぐらいパーティに出席してやれやれ何とか無事終わったかと帰宅してほっとしていると、女房が「今後このようなパーティに連れていくのなら、ミンクのコ―トを買って」と言い出したのである。今持っている羊の皮のもの(それでもミラノの一流店で60万円もの大枚をはたいて買ったもの)では、ああいうところには恥ずかしくて着ていけないという。念のためいうと彼女はかって高級ブランドの服を買ってほしいなぞとそれまで言った事なぞなかった女なのだ。今回はよほど恥ずかしい思いをしたのではないか。これは買ってやらねばと私は腹を決め、彼女に市場調査をしてもらった。300万円位だせば何とか恥ずかしくないものがあるという。パーティに出てくるご婦人たちがまとってくるのは1000から2000万円クラスのものであり、相続されたもののようだと言っていた。

これには私も参ってしまった。思い切って本社の上司に相談してみたが「そんな費用を会社では落とせない」という返事。考えあぐねた末に日本でかけていた私の生命保険を解約して買うことにした。

ミラノに滞在している間彼女がこのミンクのコ―トを10回ぐらい着用したであろうか。帰国して某一流デパ―トに保管をお願いしたところ「このような高級品」は冷凍保管ですといわれ何と年10万円払っているが、帰国後彼女がこれを着てゆくチャンスは皆無でありずっと冷凍倉庫に眠ったままなのである。

私の背広も着用する機会は、年にせいぜい1回くらい、イタリア大使館のパーティに呼ばれた時ぐらいだ。イタリアの上流階級の人々の生活をつかの間垣間見た我々は帰国するや、もとの中流階級の生活に戻り、住み慣れた世界に戻りやれやれと息をついているところである。

小林 元 (こばやし はじめ)

前へ次へ :目次