イタリア人のライフスタイルの神髄

−ミラノに14年間住み着いて分かったことー

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2 感性に生きるイタリア人たち

(3)彼等の装いへのこだわり

アルカンターラのミラノ本社には5人の部長クラスがいるがそのうちの一人に毎朝ネクタイを選ぶのにどの位時間をかけるか聞いてみた。彼によると「10分から15分ぐらいかけます」という。私は絶句してしまった。「私は1−2秒だ。何にそんなに時間をかけるのか」と。彼は「まず朝起きて今日はどんな天気か外を見る。それから今日会う人、場所、話題、などを考えてみる。それからネクタイとのコンビネ―ションを考えて、ワイシャツ、ス―ツ、靴、靴下、ベルトなどを考える。シャワーをして、髭をそりながらこれらのことを考えれば、10分位すぐたってしまう」という。彼等の目からすれば、会社に着てゆくワイシャツは白と決め込んでいる日本人ビジネスマンなど何と個性のない輩と映ることであろう。その筋の専門家によるとイタリアで売れるワイシャツの9割は色物かストライプで白は限られたフォ‐マルな場でしか着ないという。葬儀に出席したことがあるが、ここでも黒で身を固めた人は少数で、カラフルな衣装が目立つた。

この会社は90年代半ばに日本側が現地側株式を買い取って100%日本の会社になったのだが社長は引きつずき、イタリア人に任せた。日本の会社になったのだから、工場に行ったら 日本式に一般従業員と同じユニフォームを着るよう彼に勧めたのだが、なかなか着ようとしない。おもしろかったのは、本社の社長が工場を訪問して、さっそくユニフォームを着用すると、彼もそれに従ったのである。イタリア人の経営者にとっては労働者と同じものを着るということは、労働者の地位に成り下がることであり到底受け入れられないことなのであろう。この根底には私は強固な階級意識が根ずよくイタリアには残っているとみている。私はイタリアに勤務する前にある開発途上国に5年勤務したことがあるが、ここでも経営者は工場内部に入る時でも決してユニフォームに着替えようとはしなかった。

私はミラノに赴任せよと内示を受けたとき、あの世界的ファッションを生んでいる所に住むのだから、背広ぐらいはすこし値の張るやつを作っていこうと思った。その頃 私は部長職であったが、着ていた背広といえばイージ―オーダーのせいぜい5万円位のものであった。今回ははりこんで三越に行って10万円クラスのものを3着作って赴任した。イタリア人の仲間からは何の反応もなかった。その頃は付き合う仲間といえば、現地側パ―トナーの幹部たちが主体であったが、彼等にとってみれば私の着ているス―ツは「ちよっと何か自分達には合わないところがあるけどまあ黙っていようか」ということだったと思う。

ところがである。先に述べたように90年代にこの会社は100%日本の会社になった。 このことは現地の新聞でも大きく報道されビジネス界でも広く知られることとなった。取締役会会長(非常勤)にはイタリア財界の大物(巨大石油公社の会長から政府の閣僚になり、イタリア経済界の良心といわれた人物)に来てもらった。彼の就任により、アルカンターラ社のステ―タスは一段と上がったといわれた。彼はかねてより日本という国に大変興味を持っており、本田宗一郎は自分のアミーコだといっていた。なぜか彼は私を大変かわいがってくれて、ミラノでパ―ティがあると私を誘ってくれた。ところが会長が出るパ―ティの出席者とは、この国を代表する人たちであり、著名ブランド企業の経営者、デザイナー、銀行家、文芸評論家、ミラノ市の幹部などそうそうたる人達であった。

この会社が日本資本100%になった時、イタリア人の仲間からすでに次のようにゆわれていた。「これからは当地のビジネス界のレベルの高いところに顔を出していただくことになりますから、それなりの準備をお願いしたい」と。

何の準備をすればいいのかという私の問いに対してどのようなアドバイスがあったかは次回に語ろう。

小林 元 (こばやし はじめ)

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