◆ 町の落書き消し◆
町の落書きは刑法261条の器物損壊にあたります。落書きは個人宅にせよ地域の公共物にせよ、住民に精神的な不快感を与えると共に修復には時間とお金がかかります。にもかかわらず、落書きをした者は捕まることなく野放し状態になっています。一方住民は自宅に落書きされても自主的に消す人はほとんどいません。どうせまた書かれるだろうということで、そのままにしているようです。 落書きをするものには二つのタイプがあって、一つは自分のやっていることを芸術と主張するものです。もう一つは書くことでうっぷんを晴らすというものです。現状では咎められることもなく、また、罰則も賠償もないので、落書きがどんどん増えていくことになります。落書きに対しては町の住民がみんなで協力して進めることが大事で、「許さない」という意思表示がきわめて大切です。そうでないと、住民がばかにされ続けられるのです。 そのように考えて、駒場の住民で、写真のコンピュータ画像処理の事業を営む大内喜三郎さんは、今年の3月から毎朝5時から7時まで駒場の落書きを消して回りました。一度消すとその後には書きにくくなるようです。 「町のみんなで落書き消しをしよう」、そう提案したのが今年の5月。賛同する人はいませんでした。大内さんは毎朝5時から7時まで、一人で駒場の町中の落書きを消してまわりました。コンクリートに書かれた落書きを消すためには、カッターナイフでコンクリートを削るという力仕事をしなくてはならないこともあります。腱鞘炎にかかってしまうほどの作業がつづきました。「無益なことは必ずしも無意味ではない」、家族にはそう語りながら黙々と落書き消しを続けているのです。 淡島通りと山手通りの交差点の手前に淡島通りの下を通るトンネル道路があります。片方の入り口の道幅はわずか2メートル17センチで、しかも見通しも悪いところです。今年の5月にはここでひき逃げによる死亡事故が発生しました。このトンネルにも落書きが多く、それが幽霊のように見える状態だったのです。大内さんはこのトンネルをきれいするために薄暗い中で今も根気のいる仕事を続けています。そして、ここで不運にもひき逃げ事故を起こすことになった加害者の支援もし、留置場に手紙を送りました。この作業を完成させてきれいになったトンネルの写真を送りますと書いたのです。 落書きする本人も悪いが家庭や社会も悪い。落書きを消すという無益なことに関わることを避けている社会がそこにある限り落書きはなくなりません。これをやったら得になるかどうかということで判断をし、行動の基準としがちな気風を改めていくことが大切です。また、行政ですべてなんとかしてほしい、という考え方も変えなくてはなりません。落書きに対する一人一人の住民の姿勢が地域社会で問われているといっても過言ではないと思います。
2003年12月
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