無益なことは必ずしも無意味ではない

−町の落書き消しの軌跡−

目黒区駒場住区センターでの講演会

2003年11月24日(月)


お話:大内喜三郎さん


はじまりは、町会のみんなで落書きを消しましょうよ、ということからです。 看板に落書きされたままでは、姿勢が問われちゃうんじゃないか。 5時半ごろきてくださいよ、と。

でも誰もやんない。で一人でやったんです。 落書きは消す意思がないと消えない。どうやって消すかを考えます。 やっているうちに楽しくなっちゃった。 朝の6時から12時までやることもありました。

そのうちはりつきましたね。 「一人でやるには限界じゃないの」とか「病気になるよ」 といわれたりしました。 コンクリートを削ると粉が飛ぶんだけどマスクもかったるくてね。 途中で帰ってもそこを汚さないように掃除をしながらやっている。

お金のことは一切考えていないんですね。 お金のことを考えてはできないんです。 無益なことということは必ずしも無意味ではない。 その言葉にだまされちゃったんですね。 でも群れない。

そうして一人でやってるうちに自信がついたんです。 無益なことは必ずしも無意味ではない。 そういうことを感じませんか?

落書きのあるそこの場にいかなければことは進まない。 それからむちゃくちゃやってきた。 いろいろな人がそばをとおったけれど、誰もやんないならやってやろうと。

知り合いの寿司屋さんが松見坂のトンネルで交通事故を起こした。 トンネルはつくりっぱなしなんです。 そこでトンネルをきれいにしました。 通る人が声をかけてくれました。おまわりさんもご苦労さんと。 落書きを消したトンネルは半年は書かれません。 そんなに若い人たちは腐っていると思わない。

街に落書きがないということは資産が目減りしないということなんですよ。 マンションを買うのに近くに落書きが多いと買いたくなくなるでしょう。 4階のマンションも上まで消したんです。見てた人に綺麗になりましたねといわれたました。

白でもいろんな色がある。 ぴったしんこの色が出せるかというと難しい。 色というのは変化しますからね。 駒場高校の並びにある配電盤は いたずらして木陰みたいな雰囲気にしたんです。 3ヶ月半かかった町会の看板ですが、17枚あるんですが 右の端の工業高校のものも気になったのでなおしました。 毎日朝5時半から2時間づづやって1枚1週間かかりました。

文字だけの線のときに早めに消すんです。 ちょっとだけでもやられたらすぐに消す。 かくなといわれているように思うと手が出なくなるんでしょう。 必ず消していくということが大事です。 やってもらってはだめなんだなと思わせるんです。 見つけたらすぐ消すのが大事。 書くなといわれていると思うと書かないのです。

今は渋谷区の方が気になってきました。 日本の閉塞状態を変えるのは自分からということが大事です。 われわれの世代は戦後の貧しさを経験している。 親はそういう話をしない。 したってわかってもらえないからだまっている。 やれば落書きがなくなっていく。

目がさめたときどこをどう消すかを考えます。 大事なことは現場を見て考えることなんです。 やってみて自分自身に自信がつきました。

講演中の大内さん


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