えり子に決断を迫られる

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あれは4年生の6月末のことだったと思う。彼女から速達便をうけとった。こんな事ははじめてだ。「至急お会いしたい。大事なお話があるの」とのこと。翌日の夕方有楽町駅で落ち合い日比谷公園の松本楼で軽い夕食をとることにした。席につくとえり子はカバンから一通の封筒をとりだし、「父からこの夏帰ったら、私の婚約の話をまとめたいというの。

相手は近隣の地主さんの跡取りの人で、私も小さい頃から知っている人。彼のお父さんが病で臥せっていて余命いくばくもないことを知って、普段から気に入っている私を息子の嫁にする約束だけでも取り付けておきたいと、先日父が見舞いにいたときにいってきたらしいの。 

息子さんも是非そうしたいといっているとのこと。父は気心の知れた長年の友の願いであるし、わたしにとっても良い話だと思っている。だがお前の人生のことだからお前がよく考えておいてほしい。最後はお前が決めればよいというの。私も突然の話でどうしたらいいのか迷っている。もう2年もお付き合いして私をよくわかっていただいているあなたに相談に乗っていただけるのが一番いいと思ったの、だから今日来ていただいたの。貴方はどうお思いになるか教えて」というのである。私もまったく唐突な話なのでどう答えてよいのかわからなかった。

彼女は表面では私に相談に乗ってくれと言っているが、内心ではこの事態に対して私はどうするのか私の決意を聞かせてほしいと迫っているのだなということぐらいはピンときた。

私もいずれは結婚し家庭を持つことになることはわかっていた。その時はえり子を妻にするのかと漠然と考えたりしたことはあった。しかし今の私は大学4年生で、まだ卒業もしてないし、第一どういう仕事をして飯を食うのかも決まってない身だ。婚約や結婚なんてそれらが決まってからの話だと考えていた。

しばらく沈黙の時が過ぎて、私は「突然の話で、意見といわれても、すぐには思いつかない。少し考える時間がほしい」というと、彼女は「あと10日ほどで、夏休みに入るわね、前橋に帰る途中私の宿に一晩寄っていただくというのはどうかしら。ちょうどそのころあの町の夏まつりがあって、それは盛大にやるの、楽しいわよ。その時あなたのご意見を頂けますかしら」との誘いがあり、そうすることにした。

有楽町駅で彼女を見送ってから、私は品川方面行きの山手線にのった。新橋、三田と電車は高層ビルの中を突き抜けてゆく。私はそのまぶしいほど明るい光の線を車窓からながめていたが突然私の中をある思いが駆け抜けた。それは「えり子がこのままでは、自分から離れて手の届かない処へいってしまう。彼女といるといつもほっとして安らぎの世界にいられる、俺はこの世界を失いたくない。えり子は一生俺のそばにいてほしい。彼女を俺の妻にしよう」との思いであった。

このような人生の大事は父や母に相談して決めるべきことかもしれない。しかし今自分で決断するしかない。両親は必ず彼女を気に入ってくれると私は確信していた。

小林 元 (こばやし はじめ)

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