えり子との付き合い

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えり子と再会してから二年ばかりの間にいろいろの処に行った。彼女は音楽にも興味があるといっていたから、日比谷公会堂で日本フィルのチャイコフスキーの交響曲を聞いたし、レンブラントの絵画展に行って、「サスキアの像」に二人とも惚れこんだりした。毛色の違う分野では、白木屋で開催されていた「渡辺崋山」の文人画展をのぞいて江戸の文化の香りに触れた。又「80日間世界一周」というアメリカの映画を大笑いしながら楽しんだりした。

「僕と付き合うのもいいけど、いろんな男の子とも付き合って違った世界ものぞいた方がいんじゃないか」。ある時そういうと彼女は「わたくし大学のコーラス部に入っているから、混成合唱の機会があり、何人かとお付き合いしたことあるの。そのうちの一人がすごく私に接近して来て、夏休みにあの榛名山の宿に泊まりに来るんだから、驚いちゃった。お客さんだから拒否は出来ないのだけど私それ以上の扱いをしなかった。それでおしまいになったの。でも貴方みたいにいろいろな分野に興味を持っていて面白いお話をしてくれる人っていなかった」と。

えり子は人文学科の中で「史学科」を専攻することにしたという。「貴方はいつか歴史とは人間がいかに素晴らしいことと同時に愚かなことをしてきたかを学ぶ学問で、欧米には大学に歴史学部があるくらいだといってたでしょう。人が今まで何をやってきたか学びたいと思って選んだの。」と。                      

私はロマン・ロ―ランのことをそれまで彼女に話すことを控えてきた。押し付けになってはいけないと思ったから。しかしそろそろ話す時期が来たなと思い、あの榛名山の宿で楽しいひと時を過ごした後、自宅に帰りすごい自己嫌悪に陥つたこと、その時偶然にロマン・ローランの著作「ジヤンクリストフ」に出会い、そのフレーズのいくつかが私の傷ついた心を癒してくれ、生きる勇気を与えてくれて、大学に進むことができたこと、それは自分の弱さをさらけだすことになるのだが、えり子には率直に伝えた。

彼女は黙って聞いていたが、私が話し終わると、私の顔をじっと見て「そんなご自身の内面のことまで話してくださるのは、貴方だけ。このようなお友達を持っているえり子は幸せ者」と言ってしばらく下を向いていた。数日後私は「ジヤンクリストフ」のいくつかのフレーズを彼女に送った。彼女から「生きることが厳しいことだというのはわたしも感じていました。小さな宿をあずかって、父は畑にいって不在のことが多く、母は床に臥せっていましたから、宿で何か事があると高校生であっても私が表に立って対処しなければならないことがあって、大人の世界の厳しさを多少なりとも見てきました。だから人は時には戦わなければならない時があること、私にもわかります。貴方からのこのお手紙は大事にしてしまっておきます。

先日西洋史のゼミで奈良のお寺巡りに行ってきました。そのときの写真をお送りします。気に入っていただけますかしら。あなたのお写真もいただけたらえり子うれしい」 とあった。

唐招提寺を背景にして一人たたずんでいるその写真は彼女の清楚さがにじみ出ていて気にいったのでパスの中に入れていつも私の胸元にいれておくことにした。 彼女に送った私の写真も「いつもバッグの中に入れて持っています」と見せてくれた。

小林 元 (こばやし はじめ)

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