えり子と再会する

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2年生の新学期になって、彼女のことが気になってきた。言っていたように大学に進学して東京に出てきているのだろうか。だがその音沙汰もない。 群馬在京県人会というのがあって毎年5月に都内のホテルで講演とパ―ティを催す。特にその年東京在住となった人には無料参加の誘いがあり、一年前私は出席した。 今年の講演者の話には興味があるし出てみるか、ひょっとしたら沢田えり子に会えるかもしれない、そんなひそかな期待をして出席した。

講演会場でずいぶん周りを見回したがいない。気落ちして講演が終わったのでホテルを出ようとして、ひょっと見るとえり子がいるではないか。 何人かの女友達と談笑しながら出てくる。私が近ずくと、彼女も気が付いて「あ、森川さん」と声をあげた。「連絡するのが遅くなってごめんなさい。 私入学できたの、東京女子大。あなたとゆっくりお話ししたい。今日はお友達がいるから。これ私の住所」と言って彼女は一片のメモを渡してくれた。 「あれ貴方の恋人」「そんなんじゃないわよ、ただの友達」そんな会話がきこえてきた。

さてどのような誘い方をしようか、最初が肝心だなと思案をめぐらした。積もる話があるからゆったりとして話せるコ―ヒショップにまず行き、 その後少し恰好よく絵画を見るという趣向に落ち着いた。京橋にあるブリジストン美術館とその中にある喫茶店アラスカに行く。彼女が絵画に興味を持っているこ とは聞いていた。まずは三越のライオン口で落ち合つてからそこへ歩いてゆく。 この誘いを彼女は大変気にいったらしい。「あなたにお会いできるだけでもうれしいのに、名画の本物を見られるなんて」とやや興奮気味の返事が来た。

6月の土曜日の午後、その日は梅雨空の合間から陽がのぞいていた。

えり子は2年前のあのえり子だった。私と再会できた喜びを満面にたたえて、「またお会いできてえり子本当にうれしいの、あの時指切りげんまんしたのがかなえられたのね」そういうなりそっと肩をよせてきた。

「私はまだ本当に田舎者なの。大学の周りは少しわかつてきたけど、都心に出てきたのは入学して今日が初めて。貴方はもう1年もいるのだから、 いろいろなところご存じでしょう、連れてつて。」日本橋を経て京橋に向かって歩きながらえり子はそんなことをいう。

ブリジストン美術館の中にあるコ―ヒショップ「アラスカ」の隅の落ち着いた席が運よく空いていた。正面にえり子を久しぶりに見た。 「東女に入ったんだって、おめでとう。すごいな、しかも現役で」まず私から声をかけた。「貴方のお勧めで読んだ佐々木先生の英文 構成法という本ほんとに素晴らしかった。あの本で随分力がついて、東女の入試でもうまくいったの。 あなたに会ったらまずこのことをお礼言わなければと思っていたの。私は人文学科に入ったのだけれど、さすがに東女ね、 英語関係の授業がすごく充実していて、特に驚いたのは皇太子さまの先生だったあのバイニング夫人の会話の授業を受けているの、夢みたい」彼女はいまだ入学した 興奮冷めやらぬといった調子で話を続けた。

私の方も村田先生の授業を受講していることや、フランス語の発音を学校 の行き返りに練習して変人扱いされていることなど話して大笑いとなった。こんな調子で話したらきりがないので中途で切り 上げ、美術館の方へ足を向けた。彼女は絵の前に来るととたんに黙りこくって食い入るように見入っていた。 特にルノアールのパステル画の前に来ると立ち止まつてしばらく動かなかった。

「図鑑で見ていたあの絵の前に私がいる、なんて素晴らしい瞬間なの。この瞬間を与えていただいた 貴方に感謝しなければ」彼女はそうつぶやいた。その後私が好きなコローの「イタリアの女」を見て美術館を後にした。 これが東京でのえり子との再会であった。

小林 元 (こばやし はじめ)

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