受験の苦しみに救いの手を差し伸べてくれたロマン・ローラン

PDFファイル


勉強に励もうと勢い込んで自宅に帰ってきたのだが、いざ机に向かうとその気がでてこない。試験に落ちても、春は東京の予備校に行き新しい刺激があった。夏は既に述べたように豊かな青春のひと時を過ごすことができた。だが自宅に帰ると何もない。あるのは浪人をしているという現実のみ。自分は終戦直後の苦難なときを除いて小学校中学校といわば優等生のグル―プの一員として周囲から認められてきたし、高校に入ってもクラス委員を命じられ生徒会長もした。そうした中で周りから自分はいつも一目置かれる存在なのだという観念が自分の中にでき上っていたのかもしれない。それが一気に崩れ、いまや自分は外部の誰も見てくれない存在なのだと気がついたのだ。

初めて襲ってくる孤独感、自分はこのまま挫折してしまうのではないかと考えたりした。こうなると受験勉強にも身が入らない。2−3か月ぐらいこのような日々が続いた。

このような時全く偶然に私に救いの手をさしのべてくれた人がいた。フランス人ロマン・ローランであった。彼との、そして彼の著作「ジャンクリストフ」との出逢いは奇遇というしかない。神仏あるいは天のご配慮だったのではないかとさえ思つている。それは私の人生観に決定的な転機をもたらした。

私は受験勉強の一環として、Z会という添削による通信教育に入っていた。ある時の和文英訳の文章がロマン・ロ―ランの著作「ジヤンクリストフ」の著作を翻訳したものの一節であった。主人公の初恋の場面を描いたものだったが、私はその文章のあまりの美しさに感動した。すぐ近くの本屋に飛んでいってその本を買って開いてみた。上記以外の部分にも私の心を根底から揺さぶる文章がいくつかあった。

特に以下の二つの文章が沈みこんでいた私の心に食い入るような感動を与えた。

(1)「人生は容赦なき不断の闘争であって、一個の人間たる名に恥ずかしからぬ者になることを欲する者は目に見えない数多の敵軍、自然の害力や、濁れる欲望や、暗い思考など、すべて人を欺いて卑しくなし滅びさせようとする所のものと、絶えず闘わねばならないということを彼は知った」

(2)「今日に生きるのだ。その日その日を愛し、尊敬し、殊にそれをしぼませず花を咲かすのを邪魔しないことだ。今日のようなどんよりした陰気な一日でもそれを愛するのだ。 気をもんではいけない。ごらんよ、今は冬だ、何もかも眠っている。がよい土地はまた目を覚ますだろう。よい土地でありさえすればよい。よい土地のように辛抱強くありさえすればよい。信心深くしているんだよ。待つんだよ。お前が善良なら、万事うまくいくだろう。 もしお前が善良でないなら、弱いなら成功していないなら、それでもやはりそのままで満足していなければいけない。もろんそれ以上できないからだ。それになぜそれ以上のことを望むんだい、なぜ出来もしないことに齷齪するんだい、出来ることをしなければいけない、我がなしえる程度を」。 (豊島与志雄訳  岩波文庫 )

これを読んで私は今までの自分が甘かったのだと悟った。今まで親も先生も言ってくれなかったことだが、ロランの言うように「人生は戦い」であるのだと悟った。自分が今その渦中にいる受験はその戦いの一つにすぎない。これをまず勝ち抜かねばならぬ。そのためにはよい土地のように忍耐強く,今日できることを一つ一つ着実にやろう、結果は「神のみぞ知る」だ。そしてこの競争を抜け出した後はロランのいう「一個の人間の名に恥ずかしからぬ者」になろう。それがどういう者であるかは、大学に入って考えればよい。

私の腹は決まった。それからの私は人が変わったように勉強に精を出した。その結果東大には入れなかったものの、慶応義塾大学の経済学部に合格した。

小林 元 (こばやし はじめ)

目次