えり子との出会いーその3―

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第三波は散歩している私に吹きつけててきた。昼食後いつものように散歩がてら神社の境内の方に向かって歩いていると、誰か背後にいる気配がする。「これからお散歩?一緒にいっていい?境内を案内してあげる」えり子の声だなと思ったらもう私の脇にいた。

「この神社はとっても歴史があるの。1千年以上たっているらしいの。この参道にある灯篭が何百本も列をなしているのを見ればわかるでしょう。少し行ったところに腰かけてお話できるところがあるから、行きましょう」というのである。

そこは古木でこしらえた広い机といすが置いてありちょっとした休み処になっていた。傍らの岩には湧水がしたたり落ちていた。「これ冷たくておいしいの」といって彼女は持ってきた竹の筒にその水を注ぎ、わたしにすすめた。腹にしみいるというのはこのことかというほど清冽な感覚だった。

「私の高校の授業あまりは面白くないの、貴方のところどうだった」と彼女がきりだした。「同じだよ。生徒はより良い大学へ入ろう、それだけだよ。友達を作ろうとか、視野を広げようなんて思っている奴はほとんどいない。人より一点でも良い点を取って、人を蹴落とそうとしている。県内の優秀な生徒を集めているはずなんだけど郷土を支えていく人材を育成するのにこれでいいのだろうかと思つてしまった。親が子供に期待するのは、よい大学―大企業への就職―管理職、役員への出世それが成功の方程式になってしまっている。

歴史を見ればわかるけど、時代を切り開いてきた人たちは、学校が詰め込もうとしている知識だけではなくもっと広い視野を身に着けた人々だ。歴史の授業は、人類は如何に良いこと、愚かなことをしてきたかを学び視野を広げることができる大事な科目なのに現実は出来事の暗記科目ととらえられている。

そんな状況の中で俺は生徒会長を引き受けた。もう一度言うけどなりたくてなったのではない。私がやらねば生徒会が成り立たない、君やってくれと先生にたのまれただけのことだ。「この過酷な受験競争の中で会長なんて引き受ける奴があるか、受験には明らかにマイナスだ」と親友にぼろくそに言われたよ。「君はまだこの世の中が熾烈な競争だということがわかっていない」と。

そういう中で生徒会長をやった。私は当然のこととして、部活の各責任者に生徒会として取り組んでほしいことを書いて出すようお願いした。出てきたものの中からこれはというものをまとめて、校長のところに説明にいった。ところが校長はいい顔をせずろくに聞いてくれない。後で聞いた話だが、自分が指示してないことを勝手にやったことがおきにめさなかったらしい。ここは上意下達の世界なのだ。一年の任期中によかったと思ったのは、

前年に学校の音楽室が火事で全焼し、再建費用の一端を賄おうと、著名なオペラ歌手を呼んで群馬会館で音楽会を開催し、その準備に走り回ったこと。いろいろな関係先と話をつける仕事はいい勉強になった。もう一つ、詩人三好達治先生と出会えたこと。ちょうどその年前橋市出身でありかつわが校の先輩でもある詩人萩原朔太郎の記念碑が敷島公園に建てられることになり、その式典に生徒会長として出席した。そこになんと三好達治先生が出席しておられ言葉を交わすことができたのはうれしかった。先生の代表的詩集{測量船}の{乳母車}という詩は私の最も愛する詩のひとつだから。」

「貴方は詩の世界まで興味があるの。すごい。私も三好達治先生の詩は好き。今日はいろいろ貴方のこと聞けてうれしかった。夕飯の支度があるからこの辺で失礼します」といって彼女は帰っていった。

 

小林 元 (こばやし はじめ)

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