イタリア人のライフスタイルの神髄

−ミラノに14年間住み着いて分かったことー

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2 感性に生きるイタリア人たち

(6)イタリアの首相ロマノ プロ〜ディ氏と話をする

それは私が帰国して5年ほどたった2005年のことだったと思う。

ロマノ プロ―ディ首相が来日しているのでイタリア大使館にてパ―ティを開催するとの招待状をいただいた。いつも本物のイタリア料理をいただけるし、イタリアで知り合った懐かしい人たちに会えるので大使館のパ―ティにはほとんど欠かさず出席していた。今回は特にプロ―ディ首相の顔が拝めるとの期待があった。彼は進歩的で有名なエミリアロマーニャ州ボローニャ市出身でボローニャ大学教授から、経済大臣を歴任していた。イタリアにいたころ、たまたまテレビのスイッチを入れたら彼が講演しており、「日本の産業の驚くべきところは、例えば自動車生産の現場において、操業に問題が起きたときは労働者の判断で生産ラインを止めることが出来る。それだけ管理者と現場の労働者の間に信頼関係があるということだ。」と述べていたのを思い出した。

今世紀に入ってもイタリアは短命の内閣が続き安定しなかったが、プロ―ディ氏がいくつかの進歩的政党を束ねて「オリーブの木」なるものを作り首相に就任していたのである。 友人と話をしていてふと見ると、プロ―ディ氏がごく近くに手ぶらでいるのがみえた。

私はイタリアで何回となくこのようなパ―ティに出て相当場なれして心臓になっていたからとっさにつかつかと同氏の方へ近ずいていった。案の定ボディガードか秘書かは知らぬが屈強な男にさえぎられたが、私が「Alcantara だ」というとプロ―ディ氏の方から「おう、 Alcantaraか、こっちへ来てくれ」と手招きしてくれたのである。

私の自己紹介が終わると、彼はさっそくこちらがドキッとするような問いを投げかけてきたのである。曰く「私はかねがねAlcantara 社にクレームを言いたいと思ってきた。いいものだとものだとは思うが価格が高すぎて私には買えない。」と。一国の首相の発言である。私は一瞬たじろいだが、彼の顔はよく見るとなかばにこにこしている。私はイタリアのエリート達がきついことを言う時このように冗談めかしてソフトに自己主張をすることを何度も見てきていたから、私はとっさに「実は私も高くて買えないんです」と返してやった。

すると彼は「君は面白い、気に入った」といっていきなり両手を広げてほほずりしてくれたのである。彼のニックネーム、モッタデイラは、彼のほほが出身地ボロ―ニャの特産品ソーセージのごつごつした表面に似ているところからきている。あのごつごつした感覚はあの時のことを思い出すとかすかに蘇ってくる。プロ―ディ首相とじかに言葉をかわし、意気投合した生涯忘れえぬ時であった。

彼はその後EUの委員長になった。EUのNO1として立派に職務を全うした。

小林 元 (こばやし はじめ)

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