イタリア人のライフスタイルの神髄

−ミラノに14年間住み着いて分かったことー

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(2)アルカンターラは自分を表現する格好の素材だ

イタリア人は個が確立しており、自分の周囲を取り巻く家族親族と仲間たち(アミーチ)とのネットワ―クの中で生きている。国や会社が自分を守ってくれるとは考えていない。これは日本人と対照的である。日本人は「寄らば大樹」とばかり国や会社に寄りかかろうとする。例えば就職活動を例にとろう。就職活動とは本来自分のやりたい仕事があり、それを受け入れてくれる会社に入社することなのだが、日本では生活の安定が第一と考えられ、親が子供に求めるのは「良い会社に入ってそこで平穏な一生を送ること」である。雇用契約には職務は明記されず、会社の都合で決めていく。そこには会社に任せれば、会社が終身面倒を見るという暗黙の了解がある。これは就職ではなく就社である。

ところがイタリア人は会社とは契約により労働を提供して、対価をもらう場であると考える。労働者と職員は、労働組合により守られているが、管理職以上のものは正当な理由がなくとも、会社は解雇補償金を払えばいつでも解雇出来ることになっており、彼等は自分の身は自分で守らねばならぬハイリスクハイリタ―ンの世界に生きている。これはイタリアばかりでなく、海外では一般的である。こうした不安定な環境に置かれている彼等にとって、アミーチ(気を許した友達)とのネツトワークを持つのは生きてゆくためには不可欠なことである。従って彼等はあらゆる機会をとらえて、新しい仲間を作ろうとする。初めて会った人は5分もあったら自分のアミーチになりうる人か判断出来るという。恐ろしいことだ。判断のポイントはつぎの様な点だという。

(1)装い(2)身のこなし(3)話題の豊富さ、深み―教養ということー(4)言葉使い(5)乗っている車。これらの点で気にいった者を「SIMPATICO(男性)」―感じのいい奴と考え、付き合いは次のように進むという。 @ランチに誘う。A夫妻でディナーをとる。B自宅に呼ぶ C別荘に招待する

これらの過程をとうして、自分の教養や文化の高さ(つまり階級というもの)をさりげなく表現して相手を魅了する。彼らは自分を表現するいい手段はないか常に血眼で探しているのだ。アングロサクソン系のエリ―トがするような著名な高級ブランドで身を固め、「どうだ、俺は偉いんだぞ」と見せびらかすようなことはしない。さりげなくみせる、それが品のいいこととされている。

そのような彼らの前に出現したのがアルカンターラ。これならどんな色でも出せるではないか。装い、家具、車の内装、それにPCのカバーなどで自分の好きな色を選んで個性的な色彩の調和の世界を自分の周りに作り上げる?ことができる。

そうすることは、まず第一に自分にとって楽しいことである。
 第二にそれを仲間に見てもらって、自分を表現することが出来る。
 そのためならずいぶんと値がはるけれどアルカンターラを購入するのだ。

私はパーテの場で「イタリアでは自分流の色彩の調和した世界を持つということがそんなに大切なんですかねえ」とイタリアのある著名デザイナーに問いただしたことがあった。彼は驚いた顔をして「我々が今興味を持っているのは日本の安土桃山から江戸時代の日本の武士や町人の人達が培っていた色彩感覚なのです。例えば彼等が使っていた灰色には二十種類以上あって、我々にとっても例えば「ネズミ利久」などには新鮮な驚きを覚えます。あなた方はかってある意味でイタリア人以上に色彩の調和を楽しんでいたではありませんか。その素晴らしい伝統をどうして失ってしまったのですか。我々には日本人は第二次大戦後余りにもアメリカナイズされてしまったようにみえるのです。そしてそのことを日本の方々があまり自覚されていないように思います。残念なことです」との返事が返ってきた。我々はこの言葉を胸に手をあててよく考えて、戦後に我々がやってきたことを考え直してみる時が今まさに来ているように私は思う。 

小林 元 (こばやし はじめ)

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