イタリア人のライフスタイルの神髄

−ミラノに14年間住み着いて分かったことー

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1 はじめに
2 感性に生きるイタリア人たち
(1) イタリア式感性マーケティング
(2) アルカンターラは自分を表現する格好の素材だ
(3) 彼等の装いへのこだわり
(4) イタリアでにわか上流階級人になる

2 感性に生きるイタリア人たち

(5)カフェ談義

カフェといえば、イタリア人にとって国民飲料といえるもので、日本人の茶に相当するものであろう。彼等は朝起きるとまず一杯のカフェを飲む。エスプレッソかカフェラッテである。北部イタリアではそれにブリオシユ(brioche-菓子パン)をほうばる程度の軽い朝食が普通である

私がミラノに赴任して困惑したことの一つは、このカフェであった。午前中社内で会議をすると、エスプレッソが当然のこととしてでる。ご存じと思うが本場のエスプレッソとはミニカップの底にどろどろとしたカフェの液体が2センチぐらい体積したものである。そこに砂糖をかける。カップを取って香りをかぐ。そしておもむろに口の中に流し込む。

飲み物として飲めないものではない。社員食堂で昼食をとった後、彼等は近くのバ―ルに行って必ずエスプレッソを飲む。さらに午後社外でミ―チングがあると、またエスプレッソが供される。日に3杯も飲むと夜おなかの調子が悪くなるのである。

このことをイタリア人の仲間に伝えたところ、「ラッテカルド(hot milk)を入れてマイルドにして飲む」人もいる。ただしこれを好むのはナポリ人で、北の人間はあまりやらないという。言われたとうりやってみたら腹下しはなくなった。これが第一段のカフェ談義しばらくして昼飯の時に以下の第二段が始まった。

こういう談義を私は、100人のイタリア人に中にポツンと一人いる外国人だがもう半ばイタリア人になったように気を許して話すわけで、通常のビジネスト―クではなかなかうかがい知れぬイタリア人の本音が出るので面白いのだ。

ラッテカルドを注いだエスプレッソをカフェマキアートという。マキア―トというのは 辞書を引くと「汚された」という意味である。カフェでいうと本来エスプレッソはカフェ成分100%で最高のものでそのまま飲むべきものだが、それにミルクを加えて品位を汚す飲み方だ。我々北部から中部にかけてのイタリア人は生き方の根底には「pure and natural なものがbest 」という考え方がある。ジョルジオアルマーニもはっきりこれが自分のファッションの理念だといっている。

ところで、エスプレッソの作り方は世界で一般的に飲まれているfiltered coffee とは根本的にちがう。後者はコヒー豆を焙煎してから砕いたものに熱湯をかけたものだ。従ってコ―ヒのエッセンスであるカフェインのほかの豆の異物が含まれている。

100%pure ではないのだ。ところが我がエスプレッソは高圧の蒸気をコ―ヒ豆に通して、カフェインだけを抽出したものだ。なぜエスプレッソというか、それは蒸気で特急(英語のexpress)に抽出するからそのような名前がついたのだ。

我々は、filtered coffee は本物ではないと思っている。ましてやインスタントコ―ヒなんてものは、大量生産大量販売のグロ―バリゼ―ションのビジネスモデルが生んだ代物であると考えている。

そういえば、イタリアにいたとき、ミラノでもローマでも世界にネットワ―クを張り巡らしているアメリカのコ―ヒ―ショップの店をみたことがなかった。最近ようやく何件かが開業したというニュースをみたことがある。以上を聞いただけでもイタリア人のこだわりというものがわかるであろう。彼等は頑固である。こうと信じたらとことん貫く。これがイタリア人根性というものなのだろう。

おかしなことに最近私は無性にあのイタリアの本物のエスプレッソがのみたくなる。日本のイタリアレストランで供するのは多分に日本化された、たとえばミルクをぼたぼたに入れたモノが多く、本物が懐かしい。私が住む横浜市内で数年探しまくったすえ、本物のイタリアのエスプレッソを出す店を数軒見つけた。イタリア人の仲間からお前はナポリターノだなといわれたが、私はラッテカルドをごく少量加えたあの舌の上に乗るどろっとした味が好きである。これを口にすると私の第二の故郷と呼んでいるあの北イタリアの世界が目の前に広がってくる。

小林 元 (こばやし はじめ)