◆ 渋谷WESTの200年史 ◆
1966年から2005年
|
渋谷からシブヤへ 渋谷の200年の最後の40年は現在に直結している。東京オリンピックが終わった後は、歴史ではなく現在だということなのか。この時代を歴史として書いたものはそれ以前のものと比べると意外なほど少ない。 昭和44年に玉川通りを二子玉川まで走っていた路面電車の玉電が廃止になり、地下を通る新玉川線の工事が始まった。同時に玉川通りの上を走る首都高速道路の建設も本格化し、昭和46年に東名高速とつながった。新玉川線は昭和52年に開通したが、その後平成12年から田園都市線と呼ぶようになった。 昭和40年まで東急グループが作ってきた街渋谷に、ライバルの西武グループが昭和43年に渋谷西武を開店し、昭和48年にNHK放送センターができると、その年にそこにつながる公園通りに渋谷パルコがオープンし賑わうようになった。スペイン坂、オルガン坂など、観光地のような名称が通りにつけられたりもした。続いて SHIBUYA109(昭和54年)、Bunkamura(平成元年)、渋谷マークシティ(平成12年)と、多くの人を集める建物ができて現在の渋谷になっている。若者の街シブヤとして世界的にも知られる東京の観光スポットになったのだ。 円山花街は昭和50年頃には料亭もまだ30〜40軒ほどあり、芸者も80人くらいはいたらしい。バブル期になって料亭が地上げの対象となりその数が激減し見番もなくなった。現在では活動している芸者の数は2人になっているそうだが、その芸をこの街に残す努力もはじまっているようだ。 駒場キャンパスに残された旧制一高時代からの伝統ある寮が2001年に反対していた寮生の強制退去という形で廃寮になり、その跡に図書館、売店、食堂の入る駒場コミュニケーションプラザが作られた。また旧一高の同窓会館であった建物は取り壊されて駒場ファカルティハウスとなり、レストランの営業もするようになった。 シブヤ系ファッション、ビットバレーなど話題にはことかかない街がシブヤだ。しかしこの街を好きな街という大人は余り知らない。落ち着かない街だということもあるが、大人を満足させる雰囲気がない。Bunkamuraの横からブックファーストに向かうとき、道玄坂上交番から道玄坂を下るとき、別の街に行くようで違和感を感ずる。何よりも生活感がないからだろう。 アメリカのビジネス界に東海岸の文化と西海岸の文化があるといわれるが、東京も丸の内、大手町を東海岸とすると、渋谷はまさに西海岸のビジネスの文化のまちともいえるかもしれない。こどものまち渋谷とは別に、新しいビジネス街としての渋谷も生まれつつあるようだ。 |