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<山手通りの生い立ち>
山手通りは東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)までに開通するよう、あわただしく工事が進められた。当初の計画では現在の位置より西側を通る予定だったらしいが、急遽変更となり現在のようになったそうだ。それまでは道路はなく、住宅がばたばたと取り壊されたという。青葉台側に大教寺という日蓮宗のお寺があるが、このお寺の敷地をずいぶん削り取ったようだ。現在は山手通りが川のようになって街を分断しているが、青葉台4丁目の淡島通りの北は昭和43年までは駒場町だったのだ。ちなみに駒場町はその年に駒場と改められ、現在に至っている。
山手通りは現在中央環状新宿線の工事でごったがえしており、2009年度完成ということだから2010年3月まで工事が続くのだろうか。新宿線ができると東大裏と井の頭通りの中間の富ヶ谷に出入り口ができ、大橋ジャンクションで首都高速につながることになる。地上の交通量はどうなるのだろう。ちなみに新宿線の松見坂交差点の北側は地下60メートルの深さだそうだ。その見学の模様がブログで報告されている。>>見学にいってきた
<通りに面した会社>
大坂橋から東大裏までの山手通りとその周辺には、ファッション関係の企業が目立つ。ティノラス、ホワイ、ゴールドウィンといった大手から中小までさまざまな会社がある。佐賀県に本社のある戸上電機製作所は創業80年の会社で、東京支社の事務所の上はマンションになっている。旧山手通りと合流するところにあるのが東電広告。大坂橋から旧山手通りにぶつかる までのあいだで昼食が食べられた、とんしず、プチが平成19年、松見坂交差点のカフェJohnnyが、平成20年3月と閉店していった。
<青葉台4丁目>
青葉台4丁目の淡島通り、旧山手通り、山手通りに囲まれた3角地帯は新しい高層マンション街になっている。三角形の角にあるのが東電広告、トヨタのカーポート渋谷、紳士ファッションのティノラスのビル。商店はクリーニング屋だけで淡島通り沿いの八百屋は閉店した。旧山手通り沿いは渋谷区になる。陸の孤島のようなところだ。
<三田用水>
東大駒場キャンパスの塀に沿って三田用水のなごりがある。三田用水とは寛文4年(1664年)に飲料用水として玉川上水から分水したものだが、享保7年(1722年)に上水が廃止され、享保9年から農業用水として利用されるようになった。目黒区と渋谷区の区界は豊島郡と荏原郡という平安時代の延喜式にある郡の境界というから、1000年以上も前からのものと思うと感慨深い。その境界を三田用水が流れていた。 この三田用水が廃止になったのは昭和49年(1974年)のことだ。
<松涛2丁目交差点>
渋目陸橋の下の松涛2丁目交差点から駒場に入る道路の入り口の両側に平成17年まで2本のコンクリートの柱があった。かつての東京帝国大学の門のなごりだったそうだ。だからここのバス停は東大前となっている。交差点の角には、セントラル病院の分院とヤマザキ学園がある。
山手通りから少し入ったところにある枝光会駒場幼稚園は名門幼稚園として有名だ。
松涛2丁目交差点の松見坂よりの坂道には古いお屋敷があり貴重は木立を残しているが、そこ以外はビルが並び、東大裏のゴールドウィンのビルの隣では20階建てマンションの建設中。
<東大裏>
渋目陸橋から少し離れるが、東大の裏門では中国茶の古今茶籍が小さな店でも品揃え豊富だ。このあたり三叉路と呼ばれていたが、今は山手通りが大きくなりすぎて、コスモス通りとの三叉路とはいえなくなってしまったのだろか。コスモス通りに入ると、らーめんの山手がある。