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<円山花街ホテル街>
神泉仲通りと栄通りを崖の上で結ぶ道。かつては円山花街のメインストリートだった。この通りの正式な名前はないのだが、昔は名前があったかも知れない。名前がないのも不便だから仮に円山通りとした。
ランブリングストリートと並行する道で、その反対側は崖になっていて階段で降りる。ランブリングストリートに行く道が2本、中間にある小道とつなぐ狭い道が2本ある。ホテルが密集しているところだ。
明治17年ごろ、現在の神泉駅のそばに、弘法湯という、銭湯、料理店、旅館、下宿を兼ねる施設ができた。しばらくは人もこなかったようだが、明治の末期には、周囲に料理屋もできて、このあたり芸妓の数が数十名を数える賑わいを見せるようになった。
それから花街としての円山町が発展した。このあたり、明治にはいって鍋島藩の荒木氏の所有になったことから荒木山といわれていたのを、京都の円山、長崎の丸山という花街の名前をとって円山町としたそうだ。
円山町は大正2年には、 芸妓屋24戸、芸妓60、待合茶屋13戸を以って三業地(料理屋、待合、芸妓屋の許可地)として1万5千坪の地を指定された。
大正8年2月には、渋谷三業株式会社を創立して隆盛期に入り、大震災直前には芸妓数420名を数えるようになっていた、と渋谷区史に書かれている。
昭和7年頃からの軍部華やかなりし時代には、駒場・池尻に近い円山町はますます恵まれた地の利を得た。昭和20年の空襲にあって、花街は僅かに焼け残り、それが連合国軍の進駐と同時に円山花街はその慰安所に指定された。 その後、料亭は次第に廃業し、ホテル街へと姿を変えて現在に至っている。
<日本料理店>
ランブリングストリートと結ぶ神泉仲通り寄りの道には道玄坂地蔵があるが、かつては豊沢地蔵とも呼ばれ、300年の歴史をもつという。その前にある立派な日本建築の良支(よしき)は本格的料亭。ふぐとすっぽんのコース料理を出すそうだ。寿寿木という会員制の店ではお座敷芸の伝統を残そうとしている。
ホテル街の真ん中にある「すずめのお宿」は、もともと芸者さんの置屋だったということろをお好み焼きを食べる店にしている。昔風の座敷に上がっての雰囲気はまさに花街情緒。
神泉駅への階段に向かう入り口の円山茶屋さくらは日本酒名酒を楽しむ歴史のある店。奈るみは旬の料理を気軽に味わえる。 おでん割烹ひではカウンターと座敷のあるやや高級な料理店。おでんは逸品とされている。
電子メールで今夜のうまいものを連絡してくれる産直屋たかは、一級の食材を手頃な価格で提供する割烹料理店。新しくできた串焼の店せいはワインも揃え、この通りで一番目立つ存在になっている。
<多国籍の街>
ほるもん倶楽部あじくらはカウンターでも炭火で焼いて食べる。何気ない外観だが人気店だ。ダライラマの夏の宮殿を意味するノルブリンカは無国籍料理の店。焼酎バー古典は焼酎専門のバー。空と風と星とは日本風にアレンジしたという韓国レストラン。 その上には、CHEcafe というラウンジ風のバーがある。ちょっと入ったところに出来た小さな店がイベリコ豚焼肉の店オンドル(ON$)。栄通りに近いところにはレストランバーTOMBOY、フランス料理のブラッセリークールがある。
イタリア料理ならこじんまりしたモデスト、中華料理は龍盛菜館といった具合で、この通りは見た目以上に国際色豊かな大人のグルメ街なのだ。
そんな通りにも円山児童遊園地という場所があって、そこに円山町会の防災倉庫がある。 児童遊園地とはいうものの児童の姿を見ることはない。