
<駒場Tキャンパス>
駒場Tキャンパスは、農科大学から旧制第一高等学校となった敷地にあたり、
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部と東京大学大学院数理科学研究科が
置かれています。東京大学教養学部は旧制第一高等学校と、戦後中野のキャンパスから駒場に移っていた
旧制東京高校
とが昭和25年に東大に合流したものです。数理科学研究科は教養学部とは別の組織で1995年に本郷から移ってきました。
それまでは駒場Tキャンパスは教養学部と呼ばれていました。
正門は井の頭線の駒場東大前駅東口と直接つながっていますが、車でたどり着くには駒場東大前駅西口経由となります。
第一高等学校の図書館だった駒場博物館では企画展示が一般公開され、
第一高等学校時代の講堂で現在も教室として使われている建物では、オルガン演奏会も開催されます。
また駒場東大前駅西口に近い森の上の駒場ファカルティハウスでは、
ルヴェソンヴェール駒場、ファカルティクラブ橄欖
の庭園レストランで食事をすることができます。
また、東側のコミュニケーションプラザには2フロアの学生食堂と、
イタリアン・トマトのカフェが、これも緑におおわれた環境の中にあります。
コミュニケーションプラザの奥には多目的ホールとして駒場小空間があり、
学生の演劇や演奏会の場として使われています。
キャンパスには陸上競技場、ラグビー場、野球場、テニスコート、ホッケー場があり、1917年に極東オリンピック
東京大会が開催されたときの会場になり、当時は東京で最大のグランドであったとされています。
正門の横には平成17年12月に駒場バラ園から寄贈され、地域ボランティアの駒場バラ会が管理しているバラ花壇があります。
<駒場Uキャンパス>
駒場Uキャンパスは、農科大学の敷地内に、昭和5年(1930年)、東京帝国大学航空研究所が設立されたことから始まります。
寺田寅彦、本多光太郎 といった当時の日本の頭脳の粋が集まっていました。現在は、
先端科学技術研究センター、生産技術研究所、
駒場オープンラボラトリー
があります。キャンパスの中庭横にはイタリアンレストランの
カポペリカーノがあり、一般の客も歓迎していますが、休日は営業していません。
生産技術研究所がUキャンパスに移転してきたのは1998年なので、それ以前から使われていた先端研という呼び方が
Uキャンパス全体指す名称として現在も周辺の人たちの間では使われています。
航空研究所の名から航研通りないしはコスモス通りと呼ばれるようになった渋谷区と目黒区の区界の通りに面する
正門は小田急線の東北沢駅、世田谷に面した西門は井の頭線では池の上駅が近くです。駒場東大前駅からは京都駅と同じ設計者に
よる生産研の巨大な建物をくぐりぬける東門が使われます。
もともとは淡島通りから三田用水のあったコスモス通りまでが学校の敷地で、その間を井の頭が通るようになったのです。
TキャンパスとUキャンパスの間の土地は、農科大学の敷地を
本郷キャンパス横にあった加賀百万石の前田家の屋敷の立ち退きにあたっての代替地とされました。そこに昭和4年(1929年)から5年にかけて前田邸の洋館、
和館が建てられ、戦後は米軍に接収されましたが、現在は目黒区の駒場公園となっています。
周辺の低層住宅地は当初は前田家の家臣筋の人たちが前田家を囲む形で住んだそうです。
TキャンパスとUキャンパスは現在は同じ東京大学でも、当初は第一高等学校と東大の航空研究所という別機関であったため、キャンパスの
間が住宅地となったのでしょう。
駒場公園には旧前田侯爵邸が残されていて、
洋館は建物の中を休日には無料公開しています。和館は休日でない月曜日と年末年始を除く日に中を見学することができます。
また公園内の日本近代文学館では、日本の近代文学関係
の資料が展示され、文学者が自作を朗読する催しなどもあります。
駒場Tキャンパスに隣接する駒場小学校は、昭和7年に 菅刈小学校の分教場として開設されました。敷地の中には明治天皇の行幸碑があり、明治3年に陸軍の最初の統合演習があったときの閲兵を歴史 に刻んでいます。 明治11年1月に駒場農学校の開校式が行われた時にも行幸が記録されており、淡島通りの南側には陸軍騎兵実施学校などもあって、 ここにも明治天皇、大正天皇の閲兵を記念する碑が作られています。駒場キャンパスとその周辺は、歴代の徳川将軍が鷹狩ということで定期的に足を 運んだ土地でもあり、御用屋敷のあった目黒川の崖の上から三田用水のあった渋谷区との区界まで、江戸・明治政府の重要な地域 だったといえるでしょう。
