
松見坂を登った駒場高校付近から駒場野公園のある世田谷区との区界 までの淡島通りは、南側に学校などの公共の建物が並んでいます。明治になるまで、薬草を栽培する徳川幕府の御用屋敷があった ところで、明治24年(1891年)に陸軍騎兵 第一連隊の兵営ができ、翌25年には近衛輜重兵(しちょうへい)大隊の兵営といった陸軍の施設 が集まりました。
騎兵第一連隊のなごりとして、筑波大付属高校の横を入った、丘の上に立つ大きなマンション の裏の崖淵に、「坂の上の雲」の主人公の一人秋山好古が明治29年に騎兵第一連隊長 であったときに記した征清の役戦死者哀悼碑を見ることができます。この丘はかつて騎兵山と呼ばれていました。 天気のよい日にはここから富士山も見えます。 また、駒場高校のグランドを見下ろすところには、明治天皇、 大正天皇の閲兵を記す天覧台の碑と由来記とがあって、陸軍時代をしのばせます。
この旧陸軍用地の跡は、目黒区立第一中学校、 都立駒場高校、都立芸術高校、筑波大付属駒場中高校、駒場東邦中高校、警視庁第3機動隊、公務員住宅、 東邦大大橋病院の用地となり、旧兵舎を利用して社会福祉法人の愛隣会が作られました。 愛隣会では総合ケアセンター駒場苑、学童保育クラブ、知的障害者厚生施設、高齢者在宅サービスセンターなどの 経営をしています。玉川通りに近い大橋図書館のあるところが陸軍施設の入り口で、 山手通りもなかったのですから、淡島通りと玉川通りは空川沿いの道でつながっていたのでしょうか。 ランドマーク的な存在だったこまばエミナースは2010年3月に営業を終了し、1979年に開業以来 30年の歴史を終えました。
淡島通りの北側が駒場です。昭和の初期に偕行社目黒住宅という陸軍将校の宿舎となり、大将の私邸もありました。
淡島通りには軍人やその家族を客とするさまざまな店が並んでいたそうです。
この一帯は昭和20年5月25日の山手空襲により焼け野原となり、戦後家が密集するようになりました。
駒場は井の頭線と現在は暗渠となっている空川沿いの崖で分断されていて、
その崖の上の住宅地は、道路が狭く家屋が密集するため自動車の通行には不便です。
商店街から坂を上がったところにある駒場保育園の横に駒場住区センターがあり、すぐ近くに町会事務所があります。
奥にある日本工業大学駒場高校は平成20年3月までは東京
工業高校と呼ばれ創立100年を超える歴史ある学校ですが、正門が住宅地の中なのでわかりにくいかもしれません。
崖の下は空川の暗渠に並ぶような東大前商店街です。
淡島通りの南側には大きな施設が並ぶのに対して、北の駒場側には
駒場野商店会の豆腐屋、牛乳屋、自転車屋といった個人商店や事業所が並びます。
2008年1月にオープンした駒場野公園拡張部分の角で交差する駒場通りの向こうは世田谷区になります。
交差点には〆切り地蔵があって、駒場を守っているといわれています。
・丹虎(たんとら):セブンイレブンの向かいにある焼肉店
・福島屋:東大前商店街に向かう道の角にある蕎麦屋
・えびすや:小さな居酒屋
・カフェ・アンサンブル:音楽喫茶室
・AUGUSTA:天然酵母のパンの店
・Sui-TABLE:カジュアルなバー